野球しかしてなかった自分が1日30分の勉強でセンター日本史を9割取れるサルでもできる勉強法

このブログは暗記が苦手・・・歴史が嫌い!!といった高校生のお子様を持つお父さんお子さまに楽しく効率よくセンター日本史を9割取らせるために必要な情報を発信していきます。

あなたのお子さんが分速で高校生の中で日本史トップ5%に入れる平安京の驚愕の真実を今回暴露するのですが・・・

こんにちは!
ユウマです!

 

今回はあなたに平安京の驚愕の真実
ついて解き明かしていきたいと思います。。

 

平安京は実に様々な経緯や要因を
元に造営された都です。

ですので、日本史史上
すごく奥深い都であると私は
思っています。

 

高校生の頃までの自分は
平安京に対して「華やかそう〜」
という薄っぺらい感情しか抱きませんでした。

 

しかし大学に入って再び勉強してみると、
なんと…すごく深くて面白いじゃないか・・・
このような感情を思うようになりました。

 

なので今回一回限りでは
説明しきれません。

 

なので、今日明日にかけて
やっていこうと思います。

 

もちろんただ面白いだけではありません。
お子さんの日本史の実力アップに
大きく寄与する内容です。

 

この概念を知っているだけでも
高校生の中ではトップ5%
実力に入ることでしょう。

なぜなら、センター日本史で
9割近い点数を取った僕がつい最近
知ったことですから。。。

 

また、この記事を読んで、
お子さんに教えることで、

 

平安時代初期の流れを圧倒的に
分かりやすく、理解することができます。

 

これはどの時代でも大事なのですが、
その時代の最初を理解することが
歴史学を学ぶ上ですごく重要です。

 

まず、今回の記事を読んで
平安時代初期を頭にインプットした上で
お子さんに教えてください。

 

そうしたら、お子さんはその後の勉強が
かなり楽になると思います。

 

あと、もう一つすごく大事な理由として
平安時代は試験では必ずでます

ここをしっかりと理解しておき、
この内容で学ぶ、
平安京の驚愕の真実を知れば、

 

あなたのお子さんはもはや
平安時代初期で負けることは
ないでしょう。

 

だって、
周りは知らないんですから。。

 

そして、日本史の力を高めていくことで
日本史を得点源にして、志望大学合格に
近づけるのです・・・

 

f:id:youzhen169:20190404151408p:plain

 

逆にこの記事を読まなければ、

 

平安時代初期の複雑な歴史的な経緯を
理解することは至難の技です。

 

そして、効率の悪いかつ楽しくもない
丸暗記という勉強に走ってしまうでしょう。

 

そうなるとあなたのお子さんは
「覚える量多すぎ・・・」

 

「なんでこんなに勉強してるのに
 結果が出ないの・・・」

 

「日本史辛すぎ・・・」

 

f:id:youzhen169:20190401195906p:plain

 

以上のような悪い印象を
持つことになるでしょう。

 

特に平安時代はかなり多くの知識が
出てきます。

 

人物で言えば、藤原氏ですよね。
そのほかにも芸術作品だったりとか
政治的な事件など色々あります。。

 

それで本当は面白いはずの平安時代
「覚えること多すぎ・・・」

 

このような悪い印象を
持ってしまうのです。

 

そして、日本史の勉強に集中できず
結局は点数を取れない・・・

 

いきたい大学にもいけない・・・

 

f:id:youzhen169:20190401200142p:plain

 

こんなもったいない状況が
演出されるのです。。。

 

そんなの嫌ですよね。。

 

なので今回の内容はしっかりと
頭に刻み込むようにして、
インプットしてください・・・

 

準備は良いですか・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平安京はたたりから
都を守るために作られた都。

 

平安京が造営された理由は
実際色々あります。

 

それは今後お話していきます。

 

「なんでたたり?」
そう思ったあなた。

 

それでは平安京遷都までのそれまでの
歴史的推移をお話していきます。

 

この時代の天皇
桓武天皇でした。

 

この天皇平城京
疲弊した律令制を立て直すべく、

 

また仏教勢力の力の及ばず
改革に集中できるところのへの
遷都を目指したのです。

 

そこで、はじめに目指したのが、
長岡京という都への遷都でした。

 

そして、実際に長岡京が都としての
準備も大詰めになったところ
とある事件が起きたのです。。。

 

この長岡京造営には藤原種継という
藤原式家の人が責任者でした。

 

しかし、この人が長岡京完成間近になって、
何者かに暗殺されたのです

 

ãæ殺ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

すぐに犯人たちが捕まります。
しかしその中に桓武天皇の弟である
早良親王という人がいるという密告が
あります。

 

それで早良親王も捕まって
しまいました。。

 

ãé®æãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

しかし、早良親王自身は、
私は無実だ!本当だ!」ということを
主張します。

 

けど、結局は犯人の一人として、
処罰され、早良親王は抗議の意味もあって、
自ら食事を断ち、餓死してしまいます

 

そして、その直後から
長岡京に疫病が流行するのです。

 

桓武天皇や他の周りの貴族たちはこれは
早良親王の「たたり」だと恐れます。

 

また、実際に疫病が蔓延してしまうことで
首都としての機能が麻痺します。

 

なのでもう一度遷都することになります。

そこでよく考えられたのが、
早良親王のたたりから
災厄を免れるにはどうすべきか
ということだったのです。

 

それをよくよく吟味して選ばれたのが、
現在平安京として呼ばれている土地だったのです。

 

土地の方角から縁起の良い悪いを
考えるものを風水と呼ぶのですが、

それが平安京は最適だったのです。

 

四方は、青龍・朱雀といった守り神が
守り、まさにたたりが侵入する術がないと
当時の人たちは考えていたのでしょう。

 

このような理由から平安京遷都が
決定されたのです。

 

現代の感覚とは、また一味違うもので
面白いですよね(笑)

 

さて、ここまでの流れを整理していきましょう。

 

桓武天皇は、自らの政治をスムーズに
するため長岡京遷都を行う。

 

しかし、長岡京完成間近で
造営責任者の藤原種継が暗殺。

 

犯人たちの中に桓武天皇の弟
早良親王がいるという密告がある。

 

早良親王は逮捕され、
無実を主張しながら自殺。

 

直後に疫病・・・

 

たたり怖いのと首都機能麻痺により
すごく縁起の良いと考えられていた
平安京へと再び遷都。

 

このような流れで理解していきましょう。

 

それでは今すぐ
この内容をSNSでシェア
してください。

 

お子さんに教える際のカンニングペーパーとして
すぐに見れるようにしておくためです。

 

今回は以上です。

 

長くなってしまいましたが、
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。

 

ユウマ