野球しかしてなかった自分が1日30分の勉強でセンター日本史を9割取れるサルでもできる勉強法

このブログは暗記が苦手・・・歴史が嫌い!!といった高校生のお子様を持つお父さんお子さまに楽しく効率よくセンター日本史を9割取らせるために必要な情報を発信していきます。

「日本」という国の驚愕の真実をあなたも含め、あなたのお子様に暴きます!!

こんにちは!
ユウマです!

 

今日は「日本」という国名の
驚愕の真実についてです。。

 

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この記事を読み、
あなたのお子さんに
伝えることで、

 

あなたも含め、
あなたのお子さんは
「ええ!!そうなん!?」

 

あなたとお子様は大変
驚くことでしょう。。

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ちなみに感情的に学ぶことは大事です。

 

特に驚くことで
記憶を司る海馬が刺激され、
普通に学ぶより頭への定着を促進します。

 

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また、今回の記事を読むことで
国名のルーツについての
深い学びが得られるだけでなく、

 

自分が生まれた国がどういう経緯で
できたのか知ることができます。

 

しかもこの記事の内容は
実はあまり知られていません。

 

僕自身大学での歴史の講義で
初めて知りました。

 

ですので、この事実を知ることで
あなたのお子様は歴史の知識に関して、

 

クラスの友だちよりも歴史に関する知識で
一歩秀でることができます

 

そして、日本史の力をつけることができ、
受験期には学校のテストや模試
そして最終的にはセンター試験
点数を取ることができるでしょう。

 

第一志望大学の合格
大きく近づくはずです。

 

逆にこの記事を読まなければ、
日本人なのに「日本」という国の
成立経緯を知らない。

 

せっかく他の人よりも
秀でるチャンスがあったのに
それを掴めないですごく
もったいないと思います。

 

また、日本史に関する興味も
深まらないので、勉強するのは
苦痛のまま。

 

苦痛だと勉強に集中できないので、
日本史の力がつかない。

 

点数を取れない・・・

 

最終的には第一志望の大学にも
合格できないかもしれません。

 

そんなこと嫌ですよね。。。

 

日本人として日本という国の
ルーツを知ること。

 

これは本当に大事なことだと思います。

 

ではいよいよ。
「日本」という国名の驚愕の真実を
お告げしましょう・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本」という国は
7〜8世紀に誕生した。

 

ではそれまでの名前はなんだったのか?

 

それは、「倭国」というものです。

 

5世紀に畿内を根拠地として、
日本列島を統一した勢力を
「ヤマト政権」というのは
ご存知ですよね?

 

倭国の「倭」はじつは
ヤマトとも読むのです。

 

このことから7世紀以前の
日本列島には「日本」という国は
存在していませんでした

 

その証拠に中国の歴史書をみても
どこも「日本」の文字は見当たりません。

 

魏志倭人伝にも
後漢書東夷伝にも
その他の中国の歴史書にもです。

けど、「倭」という漢字は正直
良い意味を持たないそうで、、、

 

飛鳥時代倭国の為政者たちは
倭国」という国名に劣等感を
抱いていたみたいです。

 

飛鳥時代のその筆頭株が
聖徳太子だったというわけです。

 

なので、
「日出づる処の天子、
書を日が没する処の天子に致す恙きや」

このように書いたわけです。

 

倭国」の倭の字も出てきません。。

 

また、弥生時代卑弥呼
古墳時代倭の五王は中国の
家来になるという外交スタンス
でした。

 

しかし、飛鳥時代になると、
対等外交を目指すようになるので、

 

家来の時に使っていた「倭」という
呼称は意図的に使われなくなってくるのです。

 

そんな状況の中「日本」という
国名が生まれる決定的な事件が
おきます。

 

それが、あの有名な
663年「白村江の戦い」なのです。

 

この戦いで倭国は唐の水軍に
ぼろ負けします。

 

これにより、倭国は唐のような
中央集権に向けた国づくりが
加速していくことになります。

 

その過程の中で、「日本」という
国号が生まれたと考えられています。

 

また、この日本という国号は
実は唐との関係を意識した
ものだったのです。

 

中央集権国家を作るためには
唐からいろんな制度などを学ばないと
いけません。

けど、唐とは一度戦った国です。
仲直りもしていません。

 

だから白村江で戦った過去を
清算する必要があったのです。

 

それに国号の変更が利用されました。

663年白村江の戦いがあったとき、
その時はまだ「倭国」でした。

 

しかし、第8回遣唐使が行われたとき、
その時の遣唐使の代表の粟田真人
「私は日本国からの使いとして参りました。」

 

こう言ったのですね。

このように言うことで
「私たちは、唐さんと戦った倭国という
国ではありません。だから仲良くしましょ。」

 

このような意味があるのです。

 

長くなってしまいましたが、
以下のように理解してみましょう。

 

飛鳥時代の朝廷は聖徳太子を筆頭に
中国への対等外交を志向。

 

663年白村江の戦いで惨敗して、
それまで進んでいた中央集権体制の
構築が加速化。

 

中央集権体制を確立することには
唐との関係改善が必要。

 

倭国から日本国へと国号変える
(7〜8世紀)

 

このように理解していきましょう!

 

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今日はかなり長くなって
しまいましたが、ここまでです!

 

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!!

 

ユウマ